終戦記念日に思うこと

 今年も8月6日に広島、9日に長崎で平和祈念式が行われました。
原爆被害の記録は小さい頃から、何度も画像映像を目にしてきましたが、2度とあっては
ならない悲惨な光景です。
それでも現在において核兵器は無くならない、いや核があるから朝鮮半島では戦争が起き
ないというなんとも皮肉な状況になっています。

 人類は全ての動物が恐れ、触れることのできない火をコントロールすることによって進化
を遂げてきました。火事で何人もの人が亡くなっても、火を捨てることはできません。
同じように核を使用した原子力発電ももはや廃棄することは難しい存在になりつつあります。

 その時代の人間社会への影響力という点では古代の火と現代の原子力発電はエネルギーと
しての貢献度、危険性とも同レベルではないかと私は思っています。もちろん原発事故は放射
能汚染というその後、何年にも渡って環境や人体に多大な影響を及ぼしますが、古代の集落に
おいては火事で一つの村が全滅することもあったかと思います。

 個人的な意見ですが、おそらく人類は核を捨てられない、そんな中でいかにして核による
戦争・事故を防ぐかに知恵を絞らなければいけないのではないでしょうか。

 そんなことに思いをよせる8月6日・9日が過ぎると15日に終戦記念日を迎えます。
正確には敗戦日ということになるのですが、日本にはこれ以外に4月17日と9月5日とい
う2つの終戦日があります。

 この2つは日清戦争と日露戦争の終戦日です。太平洋戦争以外でも戦地で日本のために戦っ
て命を落とした方達には哀悼の意を示すべきではないかと思います。もちろん、戦争反対の
日本としては戦勝記念のようなことはすべきではないでしょう。それでも5月27日に日本
海海戦記念式典が行われているくらいなので、戦没者への慰霊こそ優先しなければと私は、
思っています。

 決して戦争を望んでいる訳ではありませんし、日清・日露戦争を戦勝記念として扱いたい
訳でもありません。ただヨーロッパでは第1次世界大戦終了記念日においても式典が行われ
ているそうです。負けて多数の犠牲者が出たから戦争反対というだけでなく、勝ったけれど
も、味方にも敵にも戦死者を出してしまった、あの戦争を回避する方法は他になかったのか
と考える視点も大事なのではないかと思う今日この頃です。

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